もんちの『今日は人生最幸の日』

もんちです 毎朝、その日の名言と、その日、お誕生日の有名人の紹介 などなど 日々の出来事も書きます 宜しくお願い致します

4月17日 今日を最幸の一日に

おはようございます!

 


びっくりするような好プレイが、

勝ちに結びつくことは少ないです。

確実にこなさないといけないプレイを

確実にこなせるチームは強いと思います。

 

#イチロー

 

 

 

 


4月17日

 


今日は、『なすび記念日』

 

4(よ)1(い)7(な)すで、茄子が好きだった徳川家康の命日だから

 


本日のお誕生日

 


板垣退助さん、高見沢俊彦さん、ゴルゴ松本さん、kiroro玉城千春さん、今井優さんなどなど

 


もんち的には、ムツゴロウさんこと畑正徳さんのお誕生日

 

本日お誕生日の方々、おめでとうございます

㊗️㊗️㊗️㊗️㊗️

 

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畑 正憲

 

日本の小説家、エッセイスト、ナチュラリスト、動物研究家、プロ雀士

 

愛称は「ムツゴロウさん」。

 

日本エッセイストでクラブ賞、菊池寛賞受賞。

 

日本プロ麻雀連盟最高顧問であり初代十段位、最高位戦創案者。

 

 

福岡県福岡市生まれ。

 

その後医師の父が満州国に赴任したため、幼年時代満蒙開拓団の村で育つ。

 

狼と犬の雑種を飼ったり、水門でナマズを捕まえるなどの動物に絡んだエピソードはこの頃からある。

 

太平洋戦争のさなかに、兄の受験に同行して帰国。中学、高校時代を父親の郷里である大分県日田市で過ごす。


大分県立日田高等学校から東京大学理科二類に現役で合格。

 

教養学部前期課程時代は駒場寮に住み、数匹の犬を飼っていた。

 

この頃、研究の途上で文学の世界で生きるか、研究者の世界で生きるか悩み、自殺寸前まで精神的に追い詰められ、突如研究室から姿を消した。


その後、学習研究社の映像部門に就職し、理科関係を中心に学習映画などの作成に携わる。

 

しかし、社の成長による巨大企業化とそれによる社風の変質を嫌い、社長に直訴状を送って退職。

 

「ムツゴロウ」という綽名は、学研時代、徹夜で仕事をしている姿が魚のムツゴロウに似ていたことから命名されたと言われていたが、実際はムツゴロウシリーズを出版する際出版社が名付けたと自著で告白。


1967年、『われら動物みな兄弟』を刊行して翌年、日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。

 

しかし、学習研究社が「出版会社」であることから、他社から発刊したことが社内で問題とされ、退職することになる。

 

1969年、金の星社から子供向けSF『ゼロの怪物ヌル』、『天然記念物の動物たち』などを刊行。

 

1970年、『ムツゴロウの博物志』を刊行。

 

以後、いわゆるノンフィクション作家となる。


中学校時代に出会った同級生の女性と結婚し、娘をもうける。

 

娘を生物に深く触れさせて育てたところ、魚の命を奪って食べることを拒絶するようになったことに衝撃を受け、もっと深く生の自然に触れさせて、表面的な生き物好きの精神の虚弱さを払拭させて育てることを決意した。

 

1971年、東京を離れ、北海道厚岸郡浜中町の嶮暮帰島に移住。

 

さらに対岸の本土地区に移り、1972年に「ムツゴロウ動物王国」を開園。

 

1979年には標津郡中標津町にも広大な牧場やログハウスの自宅を有したムツ牧場を開園。

ここで多くの動物を飼育しながら文筆生活を送るうちにヒグマとの生活を描いたエッセイや、天然記念物に指定された動物の保全の現状を追跡したルポなどで文壇での成功をおさめる。

 

その後、彼のエッセイに共鳴して、この共同生活に加わる若者が増えた。

この共同体の姿が、1980年12月からテレビ番組「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」としてシリーズ放映されて、80年代には大きなブームとなって子供達の人気番組となり、ムツゴロウの名前は全国規模で周知されるようになった。

 

1年のうち、ムツゴロウ王国に滞在する期間はあまり長くなく、それ以外は各地で講演などをしている。


ムツゴロウ動物王国」は原則非公開だったため、北海道で培ったノウハウを生かし、「都会の人々に動物にふれあってもらう」というコンセプトで、2004年7月28日、東京都あきる野市東京サマーランド内の約9万m2の敷地に観光施設としての「東京ムツゴロウ動物王国」を開園。

 

北海道には一部のスタッフや動物が残留するのみとなった。

 

東京ムツゴロウ動物王国は集客が伸びず、2006年10月14日、「ムツゴロウ動物王国」の運営会社だったグローカル21が破綻し、負債総額8億円に上ることが明らかとなった。

 

その後運営主体を畑正憲のプロダクション「ムツプロ」に暫定的に移すも、2007年10月17日、東京都あきる野市の「東京ムツゴロウ動物王国」が2007年11月25日で閉園、活動発祥の地である北海道へ戻ることが発表された。

 

東京ムツゴロウ動物王国の運営資金を個人保証で借り入れていた関係から、個人としても約3億円の借金を背負ったが、執筆・講演活動などの収入で約8年間かけて借金を完済した。


2017年10月に心筋梗塞を発症し入院、手術を経て入退院を繰り返した後、自宅療養を続けてきた。その一方でYouTubeなどで北海道での生活を発信してきた。

 

死の一週間前から容態が急変、2023年4月5日に中標津町の自宅で心筋梗塞を発症し倒れ、17時53分搬送先の病院で死去した。

 

87歳没。

 

動物バラエティはムツゴロウさんから始まりましたね。

 


本日が皆様にとって、人生最幸の一日になりますように~😍

 


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