もんちの『今日は人生最幸の日』

もんちです 毎朝、その日の名言と、その日、お誕生日の有名人の紹介 などなど 日々の出来事も書きます 宜しくお願い致します

1月24日 今日を最幸の一日に

おはようございます!

 


我々が未来に信頼を持つには、

まず我々自身を信頼することである。

 

#ジョン・F・ケネディ

 

 

 

1月24日

 


今日は、『ゴールドラッシュデー』

 


1848年のこの日、製材所の川底に金の粒が見つかった噂は全米に広まり、多数のアメリカ人がカリフォルニアに押し掛けた

 


本日のお誕生日

 


市原悦子さん、野際陽子さん、ジャンボ尾崎さん、ジュディ・オングさん、五輪真弓さん、渡辺正行さん、前田日明さんさんなどなど

 


もんち的には、元女流棋士林葉直子さんのお誕生日

 


本日お誕生日の方々、おめでとうございます

㊗️㊗️㊗️㊗️㊗️

 

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林葉 直子

 

 

5歳の時に父親から将棋を教わり、女流アマ名人戦に小学6年生で優勝するなど「福岡の天才少女」と騒がれていた。

 

1979年11月、奨励会に6級で入会、蛸島彰子についで2人目の女性奨励会員となる。

同時に小学校在学中に上京して米長邦雄宅に住み込みの内弟子として師事するようになる。

 

1980年4月、女流棋戦主催者の強い要望を受けて、米長邦雄門下で女流2級でプロ入り。

早くも頭角を現し翌年の第4期女流王将戦リーグで勝ち抜き、1982年4月にタイトルに挑戦。

同月27日に史上最年少の14歳3か月で初タイトルである女流王将蛸島彰子から奪取。

 

その後、続けてデビューしてきた同世代の中井広恵清水市代とともに1980年代半ばから1990年代半ばにかけて、女流三強時代を築き、三人の中のいずれかが女流タイトル戦に登場した。

 

1982年から1991年まで女流王将を10連覇(同一タイトル10連覇)。その功績が認められ、1991年に女流棋士として初めてのクイーン称号「クイーン王将」を贈られる。

 

実力があるだけでなく、ルックスの良さもあいまって、テレビのドラマやCMなどにも出演。

将棋の女流棋士の存在を世間に広めることに大きく貢献した。


1980年代から1990年代にかけて「とんでもポリス」シリーズや「キスだけじゃイヤ」シリーズなどのティーンズノベルやエッセイを執筆。同時期に「近代将棋」でも「直子の将棋エアロビクス」などの連載を持っていた。


1994年5月29日に林葉は「心身ともに疲労を感じ極限状態にあるのですべての活動を停止ししばらく休養したい、保持していた倉敷藤花のタイトルも返上した上で、棋士としての処遇は理事会の決定に従う」という旨の休養願いを、理事の勝浦修を通じて日本将棋連盟理事会に提出し、姿を消した。

 

様々な憶測の中、実はアイルランドに滞在していた林葉は国際電話で連絡を受け日本で騒動になっていることを初めて知り、急遽理事会の担当者に連絡し、詫び状を提出し早期復帰を約束した。

 

その後、7月18日にイギリスから帰国。

将棋連盟から3か月間の出場停止(7つの対局すべて不戦敗)、その期間の公的活動の停止と約150万円の損害金の支払いなどの処分を受けた。そして7月20日、釈明の記者会見を行った。

 

その後、突如として日本将棋連盟理事会に退会届を提出、これが受理され将棋界を去ることとなった。

退会理由は「将棋が嫌いになったわけではないが、情熱が冷めた」ためとしている。

 

1995年、将棋連盟退会と同時期に写真集『CONFESSION 告白』にてヘアヌードを発表。

さらに1998年には1992年から続いていた中原誠との不倫を告白し、再びワイドショーの話題となる。

 

この当時、これらの一連の出来事で良くも悪くも女流棋士知名度を大いに高め、他の女流棋士は自らの職業を名乗ると「あの林葉直子の」と反応されることが多く、非常に困ったという。

 

2004年、ペンネーム「かとりまさる」名義で、月刊アフタヌーンで将棋をテーマとした漫画『しおんの王』の連載の原作者として執筆活動を行った。

小説のつもりで原稿を編集者に見せたら、面白いので漫画の原作にしようということになり、2008年まで4年間続いた。かとりまさる林葉直子であることは1年以上極秘とされていた。『しおんの王』はテレビアニメとして放送され、DVD化やゲームソフト化もされるなどヒットした。

 

2004年、六本木で「Woo Curry」というインド料理店を経営する。店名は「うー、辛え」から。

内装はミニクラブの居抜きで、インド人シェフによる本格的インドカレーの店だったが、経営は苦しく1年余りで閉店。店には将棋盤と駒が置かれていたり、林葉と同年代のプロ棋士や後輩の女流棋士が彼女の人柄を慕って店に通っていたり将棋関係者と交流が続いていたという。

同年に飲酒の影響で肝硬変を発症。さらに父の借金が発覚したことで2006年には自己破産した。

 

2008年、『しおんの王』の原稿を書き終えた後にも体調を崩して、半年ほど入院をしていた。退院後は福岡へ戻り、静養したり将棋好きな寺の住職と将棋を指したりの日々が続いた。

その後はタロット占い師として活動。

 

病状の悪化は続き一時は体重が38kgにまで減少、余命1年を宣告される状況であったが一命を取り留め、その後は自身のブログなどを通じて近況報告を行なっている。

 

 

全く見かけなくなりましたが、元気にされてるのでしょうか?

すごく痩せておられると噂がありますが…

 

またテレビにも出て欲しいですね

 

 

本日が皆様にとって、人生最幸の一日になりますように😍

 

 

 

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