もんち 人生迷走中

もんちです 毎朝、その日の名言と、その日、お誕生日の有名人の紹介 などなど 日々の出来事も書きます 宜しくお願い致します

11月17日 今日は人生最幸の日

おはようございます!

 


いいんだ。

岡本太郎の責任でやるんだから。

 

#岡本太郎

 

 

 

11月17日

 


今日は、『将棋の日

 


将棋好きの8代将軍徳川吉宗が、この日を「お城将棋の日」とし、年に1回の御前対局を制度化した

 


本日のお誕生日

 


本田宗一郎さん、内田裕也さん、岡田圭右さん、木村一八さん、城島茂さん、ユンソナさん、佐藤めぐみさん、亀田興毅さんなどなど

 


もんち的には、商売の神様、本田宗一郎さんのお誕生日

 


本日お誕生日の方々、おめでとうございます

㊗️㊗️㊗️㊗️㊗️

 

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本田宗一郎

 


1906年浜松市天竜区で鍛冶屋をしていた本田家の長男として生まれる。

 


1913年小学校に入学。

在校中に自動車を初めて見る。

 


1922年高等小学校卒業、自動車修理工場「アート商会」に入社(当時の表現で「丁稚奉公」)。

半年間は、社長の子供の子守りばかりであった。

 


1928年、 アート商会に6年勤務後、のれん分けのかたちで浜松市に支店を設立して独立。

 


1936年第1回全国自動車競走大会に、フォードに自作のターボチャージャーをつけたマシンで弟の弁二郎とともに出場するが事故により負傷、リタイアを喫する。

 


1937年自動車修理工場事業を順調に拡大、「東海精機重工業株式会社」の社長に就任。

 


1946年浜松市本田技術研究所 (旧)設立。

39歳の宗一郎は所長に就任。

 


1948年、本田技研工業株式会社を浜松に設立。

同社代表取締役就任。

資本金100万、従業員20人でスタート。

二輪車の研究を始める。

 


1973年、中華人民共和国を訪れた帰国直後の会見で、本田技研工業社長を退き、取締役最高顧問に就任することを発表。

研究所所長は続けた。

 

 

 

本田が社長を退いた時、工場をまわり、社員達と握手をしてまわったそうです。

しかし、ある工場で、本田氏と握手する前に急いで走り去ろうとする社員がいました。

 


「どうした?」と本田氏が呼び止めると、「手が汚れているから」とその社員はとても恥ずかしそうにしています。

 


その社員の手は工場で使う手が油で真っ黒だったのです。

そのため握手をする前に洗いにいこうと思ったのですね。

 


しかし本田氏は「いいんだよ、それでいいんだ」と言いながらその真っ黒な手を握りしめ、こう言います。

 


「働いている手じゃないか、立派な手だ。俺はこういう手が一番好きだ」

 


その時本田氏は涙ぐんでおり、その社員も一緒に涙を流したそうです。

 

 

 

1983年取締役も退き、終身最高顧問となる。

 


1991年、肝不全のため死去。

84歳没。

葬儀は宗一郎の遺言通り、葬儀は家族で静かに送られた。

 


成功者は、

例え不運な事態に見舞われても、

この試練を乗り越えたら、

必ず成功すると考えている。

そして、最後まで諦めなかった人間が、

成功しているのである。

 


名言が沢山あり、これからもアップしていきます。

 

 

 

本日が皆様にとって、人生最幸の一日になりますように😍

 

 

 

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