おはようございます!
率直な意志の相違は
進歩を示す健全な兆候だ。
#ガンジー
4月24日
今日は、『日本ダービー記念日』
1932年のこの日、目黒競馬場で日本初のダービーが開催された
本日のお誕生日
桂由美さん、シャン=ポール・ゴルティエさん、山咲千里さん、大鶴義丹さん、山本梓さん、田中マルクス闘莉王さんなどなど
本日お誕生日の方々、おめでとうございます
㊗️㊗️㊗️㊗️㊗️
貧しい農家の息子であった松本が小学生の頃、現代の教育委員会の指導主事のような人が学校を出ようとしたとき偶々、所用で来校した県議会議員と鉢合わせになった際に、逆に視学が慌てて道を譲った。
松本は県議会議員がそれほどまでに凄いのかと驚いて家に帰ってから母親に「大きくなったら県議会議員になりたい」と言ったところ、母親から「バカを言っているんじゃない」とこっぴどく説教をされた。
それだけに、第二次世界大戦後松本が県議会議員になったと知った母親はただただ驚いたという。
第9代松戸市長在任中の1969年10月6日に「市役所は『市民に役立つ・役に立つ人がいる所』」をモットーに、日本初の即応部門「すぐやる課」を市役所に設置。
全国的に報道された。
この思想は日本各地の首長に支持され、1975年には全国315の自治体で同名部署や同じ役割の部課ができた。
市長在職当時、県会議員選挙の投票率が低迷していたため、松本は、投票整理券の整理番号を用いてくじを実施しようと考え、公職選挙法を管轄していた自治省にお伺いを立てたが却下。
しかし、くじを実施しても投票の公正性が害されることがないと考えた松本は、昭和44年12月の総選挙で「投票でカラーテレビを当てましょう」というキャッチフレーズと共にその案を実施した。
景品はカラーテレビ、洗濯機、掃除機等でその金額は100万円を超えた。
マツモトキヨシは、1932年に薬種商免許取得の後、「松本薬舗」を開業
現在の株式会社マツモトキヨシは長男、次男、孫へと引き継がれている。
元々は県議会議員で、様々なアイデアをお持ちの方だったと知って、ビックリしてます。
本日が皆様にとって、人生最幸の一日になりますように〜😍
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#4月24日