おはようございます!
「今日はいい事がある。いい事がやってくる」
「今日はやりたい事が最後までできるんだ」
この事を思って生活してみてください。
10月23日
今日は、『電信電話記念日』
1869年、東京~横浜で公衆電信線の建設工事が始まった日
本日のお誕生日
ペレさん、坂口良子さん、渡辺真知子さん、矢部浩之さん、はしのえみさん、小原正子さん、松井稼頭央さん、磯山さやかさん、渡辺直美さんなどなど
もんち的には、ジャニーズの創設者のジャニー喜多川さんのお誕生日
本日お誕生日の方々、おめでとうございます
㊗️㊗️㊗️㊗️㊗️
本名、ジョン・ヒロム・キタガワ
プロ野球チーム「ゴールドスター」のマネージャーだった喜多川諦道の次男として、生まれる。
両親共に日本人の日系2世。
日本とアメリカの二重国籍を持っていたため、ミドルネームがあった。
姉はメリー喜多川、兄はNASAでアポロの設計もしていた科学者だったが1980年代に50代半ばで死去している。
1950年、美空ひばりが育ての親・川田晴久と共にアメリカ公演を行ったが、ロサンゼルス公演の際、父の勤務先だった真宗大谷派東本願寺ロサンゼルス別院が会場となったため、ステージマネージメント全体を担当する。
川田の知遇を得ると共に、ひばりとも親しく交流するようになった。
このことが、日本芸能界への進出のきっかけとなる。
1960年代初頭、ジャニーは近所の少年たち約30名で構成された少年野球チームのコーチを務めていた。
1962年、野球チームのメンバーである4名の少年により最初のグループであるジャニーズを結成する。
1980年代に突入してから「フォーリーブス」「郷ひろみ」らに始まり、「たのきんトリオ」・「シブがき隊」・「少年隊」などの3人組アイドルを成功させた。
その後、7人組のアイドルグループ「光GENJI」をデビューさせた。
ローラースケートで踊りながらアクロバティックなライブを行うという、これまでにないアイドルグループとして注目され大きな成功を収めたものの、活動期間は8年とアイドルとしてはやや短命に終わった。
1990年代には、「SMAP」を個性的なマルチタレント型グループとして、ライブだけでなくバラエティー番組でも活躍できるアイドルとしてデビューさせた。
その後も、バンド形式の「TOKIO」、年齢差のある個性派アイドル集団「V6」、関西系の二人組ユニット「KinKi Kids」、王道的アイドルを目指す「嵐」らが次々にデビューし、SMAPに続くバラエティー番組でも活躍できるアイドルグループとして、着実に成功を収めていった。
2000年代には、Kinki Kidsに続く二人組ユニット「タッキー&翼」、V6、嵐に続くワールドカップバレーのイメージキャラクターとしてデビューした「NEWS」、関西出身者だけで構成される「関ジャニ∞」、ジャニーズの異色グループ「KAT-TUN」、メンバー全員が1990年代生まれの「Hey! Say! JUMP」と続々と新たなグループがデビューし、個性的なグループが多く誕生した。
2010年代には、少年隊以来の3人組ユニット「NYC」、光GENJIを彷彿させるローラースケートを武器にした「Kis-My-Ft2」、嵐以来の5人組グループの「Sexy Zone」、ジャニーズ初のDVDデビューをした「A.B.C-Z」、V6同様に年齢差のある「ジャニーズWEST」、ジャニー喜多川にとって生涯最後のデビュープロデュースとなった「King & Prince」など、これまでの成功事例を取り入れる形で、所属タレントの活躍の場を広げ、男性アイドルの礎を築いた。
2019年7月9日、でクモ膜下出血により死去した。
87歳でした。
9月4日、東京ドームに於いて二部制によりジャニーのお別れの会が執り行われた。
午前の関係者の部では約3500人の芸能関係者が、午後の一般の部では約8万8000人の一般人が参列した。
モットーは「ショー・マスト・ゴー・オン(ショーは何があろうと続けなければならない)」
ジャニーさんの心を受け継いだ若者が沢山いて、今後の芸能界が楽しみですね。
本日が皆様にとって、人生最幸の一日になりますように😍
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#誕生日
#10月23日