おはようございます!
一日一字を記さば一年にして三百六十字を得、一夜一時を怠らば、百歳の間三万六千時を失う。
#吉田松陰
9月21日
今日は、『国際平和デー』
「世界の停戦と非暴力の日」敵対行為を停止するよう全ての国、全ての人々に呼び掛けている
毎日この記念日にすれば良いのに
今日のお誕生日
桂ざこば(2代目)さん、スティーブン・キングさん、松田優作さん、安倍晋三さん、佐々木ゆう子さん、四元奈生美さんなどなど
もんち的には、松田優作さんのお誕生日
本日お誕生日の方々、おめでとうございます
㊗️㊗️㊗️㊗️㊗️
山口県下関市今浦町で、日本人の父と当時、質屋を営む韓国人の母との間に生まれる。
1972年4月、文学座付属演技研究所十二期生となり、文学座同期には阿川泰子、高橋洋子、山西道広、1期後輩に中村雅俊、1期先輩に桃井かおりがいた。
新宿でバーテンダーをしていた時に知り合った、村野武範が自身が出演していた『飛び出せ!青春』のプロデューサーである岡田晋吉が新人俳優を探していることを聞き、「自分の研究所にちょっと面白い男がいる。」と松田を推薦した。
しかし本当は、村野は優作を優秀な俳優として推薦したわけでなく、前日に麻雀に負けた時の約束を果たしただけらしい。
しかし、それがきっかけで、1973年、刑事ドラマ『太陽にほえろ!』にジーパン刑事としてレギュラー出演、その活躍・殉職シーンが話題となる。
『なんじゃこりゃ〜〜』ってやつですね。
また、志垣太郎主演の東宝『狼の紋章』にて映画初出演を果たした。
1976年1月、前年に行なわれた『俺たちの勲章』の鹿児島ロケ打ち上げの際、19歳の予備校生に対して共演者と共に暴力を振るい、全治3か月の重傷を負わせた容疑で警視庁新宿警察署に逮捕される。
懲役10月、執行猶予3年の有罪判決を受ける。
1976年5月、東映『暴力教室』(岡本明久監督)がクランクイン。
これにより映画復帰を果たす。
今と違って、復帰が早いですね。
1986年には映画『ア・ホーマンス』製作途中で、作品の方向性に関して意見が食い違ったため、監督が降板。
自らがメガホンを取ることとなり、これが初監督作品となる。
1988年、深作欣二監督の時代映画『華の乱』では、国民的女優吉永小百合と共に主役を演じる。
この撮影をしている頃から、松田は尿が出なくなり腹がパンパンに張っていたという。
その後アメリカ映画『ブラック・レイン』に出演し、念願のハリウッドデビューを飾る。
同映画の撮影時点で自身が癌に侵されている事を知るが、延命治療を拒み、出演していた。
病気の事実を知る者は、撮影関係者では安岡力也のみであり、周囲にも堅く口止めがされていた。
1989年11月6日午後6時45分、入院中の武蔵野陽和会病院で膀胱癌の腰部転移により死去した。
40歳没。
そんなに若かったんだな〜。
松田が弟の様に可愛がっていた仲村トオルは松田の遺体の前で「優作さん! 起きてください! 早すぎるよ!!」と泣き叫んだ。
テレビドラマ
『太陽にほえろ!』
『俺たちの勲章』
『大都会PARTII』
『探偵物語』
映画
『遊戯シリーズ』
『蘇える金狼』
『探偵物語』
『家族ゲーム』
『ブラック・レイン』
主だった出演作品は少なかったが、インパクトのある演技で30年経った今でも影響のある人物である。
生きておられたら、きっと凄い俳優になってたんだろうな。
本日が皆様にとって、人生最幸の一日になりますように😍
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