おはようございます!
好かれようとしているだけなら、いつでも何でも妥協する用意があり、何も達成しないだろう。
3月17日
今日は、『漫画週刊誌の日』
1959年のこの日、日本初の少年向け週刊誌『少年マガジン』『少年サンデー』が発刊された
本日のお誕生日
松尾嘉代さん、マギー司郎さん、SHIHOさん、新田恵利さん、藤森慎吾さんなどなど
本日お誕生日の方々、おめでとうございます
㊗️㊗️㊗️㊗️㊗️
本名、甲本浩人。
中学生時代、セックス・ピストルズに衝撃を受け、「中学を卒業したら高校へは行かずに、上京してロックンローラーになりたい」と親に言うも、反対される。
高校卒業間際の1980年、亀山哲彦らに誘われ、ラウンド・アバウトに加入し岡山で活動。
ほどなく法政大学経済学部経済学科に進学し、上京する。
大学に行かれてたのですね。
ちょっと意外でした。
ラウンド・アバウトは1982年頃に解散し、THE COATSを結成するが、1984年に解散。
1985年、真島昌利らとTHE BLUE HEARTSを結成。
1987年にシングル「リンダリンダ」で、メジャーデビューした。
1994年、THE BLUE HEARTSは活動休止。1995年に解散を発表した。
1995年、真島に誘われ↑THE HIGH-LOWS↓を結成。
シングル「ミサイルマン」、アルバム「THE HIGH-LOWS」を同時発表。
2005年に活動休止を発表。
2006年春、真島らとザ・クロマニヨンズを結成、7月23日を皮切りに大型ロックフェスの出演とツアーを敢行した。9月20日にシングル「タリホー」を発表。
2006年7月、ソロ・シングル「真夏のストレート/天国うまれ」発表。
ギターのみならず、ベースやドラムスなど、ほぼ全てのパートを一人で演奏。
2009年5月の忌野清志郎の葬儀には、清志郎の最期の姿がステージ衣装であったことに敬意を込めて革ジャン姿で現れ、弔辞を述べた。
2019年、内田勘太郎とブギ連を結成、アルバム「ブギ連」を発表。
真島昌利とはTHE BLUE HEARTSから、30年以上バンドを組み続けている。
甲本のインタビューによれば、若い頃から、将来は親の世話になろうと思っていて、働く気の無かった自分を、真島が「お前はやれば出来る子なんだよ!」と、叱咤激励し続けてきたと語っている。また、上京して友達がなかなか出来なかった甲本にとって、誰より自分を理解してくれた真島を、「自分にとって特別な存在だから、彼の期待を裏切りたくない」と言っている。
真島とはプライベートでの交流も盛んであり、休日には二人で中古レコード店を回ったりすることもある。
ブルーハーツ結成直後、真島とバンドの今後について話し合いをしていたところ、突然、「『バッテンロボ丸』の再放送が観たい」と言って自分の部屋に戻ってしまった。これに真島は激怒し、甲本の部屋に突入するや否や、甲本が「ちょっと待って,この番組が終わってから」と言ったその時、真島がテレビのコンセントを『ブチッ!』と抜き、テレビを撤去てしまった。
他人と一緒に何かをやって行く時に大事な態度や考え方を学ぶ機会になった。
ずっと子供っぽい人なんで、真島さんと良いコンビなんでしょうね。
ブルーハーツの頃から大好きでした。
本日が皆様にとって、人生最幸の一日になりますように😍
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