おはようございます!
生きるうえで最も偉大な栄光は、
決して転ばないことにあるのではない
転ぶたびに起き上がり続けることにある
1月3日
今日は、『瞳の日』
眼鏡・コンタクトレンズの業界が制定
「ひ(1)とみ(3)」の語呂合せ
本日のお誕生日
道場六三郎さん、ゼンジー北京さん、岩下志麻さん、鳥居ユキさん、尾木ママさん、メル・ギブソンさん、ダンカンさん、柳葉敏郎さん、吉田栄作さん、小沢真珠さんなどなど
本日お誕生日の方々、おめでとうございます
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寿司職人であった父の職場移動に伴い、小学2年生の時に東京・浅草に移り、少年時代を過ごす。
ここで映画への興味を深め、またストリップ劇場など大人の世界にも触れた。
さらに児童合唱団に所属するなど、華やかな世界への興味を抱くようになった。
幼少の頃はデザイナーになることに憧れており、東京都立工芸高等学校への進学を志望していたが、小学校の健康診断で赤緑色弱と診断されたために断念せざるを得なかったらしい。
大学在学中の1977年、テレビ番組『ぎんざNOW!』の「素人コメディアン道場」で第17代チャンピオンとなり、芸能界入りした。
大学卒業後、勝新太郎が主宰する「勝アカデミー」に第1期生として入校し、翌年卒業した。
その後浅井企画と契約し、本格的な芸能活動を始めた。
『ぎんざNOW!』初代チャンピオンであり、浅井企画の先輩で長年の親友でもある関根勤(旧:ラビット関根)とコンビ「コサキン」(当初は『コサラビ』)を組み、ライブハウスの舞台に立ち修行を積む一方、『ザ・トップテン』(日本テレビ)の中継リポーターとして出演したのに続き、萩本欽一の看板番組『欽ちゃんのどこまでやるの!?』の「クロ子とグレ子」で関根勤と共に人気を獲得。
活躍が認められ、1984年にフジテレビのテレビ番組『ライオンのいただきます』の司会に抜擢、その後、後継番組として1991年から『ライオンのごきげんよう』が開始、以来お昼の顔となっていた。
1980年代から90年代にかけては俳優としてもテレビドラマ出演を多くこなした。『いただきます』『ごきげんよう』で司会者のイメージを確立しているが、原点となるものまね芸も続けており、『コサキン』シリーズで新ネタを卸し続けたほか、2010年代以降も『とんねるずのみなさんのおかげでした』で若手芸人に混じってものまねを披露している。
2004年、首の腫瘤の摘出手術のためにレギュラー番組を一時降板した。
テレビ番組には同年8月30日の『ごきげんよう』の生放送で復帰したが、その際には、髪を白く染めるという意表をついた登場で注目を集めた。
当時は笑っていいとも!の後番組として毎日観てましたね。
何が出るかな〜、何が出るかな〜って口についてますもんね。
ごきげんようが終わってしまって、お見かけする事が減ってきましたが、まだまだ頑張って欲しいですね。
本日が皆様にとって、人生最幸の一日になりますように😍
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