もんちの『今日は人生最幸の日』

もんちです 毎朝、その日の名言と、その日、お誕生日の有名人の紹介 などなど 日々の出来事も書きます 宜しくお願い致します

10月23日 今日を最幸の一日に

おはようございます!

 


「今日はいい事がある。いい事がやってくる」

「今日はやりたい事が最後までできるんだ」

この事を思って生活してみてください。

 

#瀬戸内寂聴

 

 

10月23日

 


今日は、『電信電話記念日

 


1869年、東京~横浜で公衆電信線の建設工事が始まった日

 

 

本日のお誕生日

 


ジャニー喜多川さん、坂口良子さん、渡辺真知子さん、矢部浩之さん、はしのえみさん、小原正子さん、松井稼頭央さん、磯山さやかさん、渡辺直美さんなどなど

 

 

 

もんち的には、サッカーの王様、ペレさんのお誕生日

 


本日お誕生日の方々、おめでとうございます

㊗️㊗️㊗️㊗️㊗️

 

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ペレ

 

ペレこと、エジソン・アランチス・ド・ナシメントは、ブラジルのサッカー選手。

 

サッカーブラジル代表のエースとして3度のFIFAワールドカップ優勝。

クラブではサントスFCで活躍し、インターコンチネンタルカップで欧州王者を破り、2度のクラブ世界一を経験。

15歳でデビューしてから1977年に引退するまで、実働22年間で通算1363試合に出場し1281得点を記録した。

その実績から「サッカーの王様」、あるいは「20世紀最高のサッカー選手」と評され、多くのサッカー選手、サッカーファンから「サッカー史上最高の選手の一人」と見做されている。

 

1940年10月23日、ブラジル南東部のミナスジェライス州トレス・コラソンエスに生まれる。

出生と同じ時期に町に電気が敷設されたことから、「発明王」と呼ばれたトーマス・エジソンにちなんで「エジソン (Edson)」と名付けられた。

 

しかしペレの出生証明書には「Edison」と表記されており、この誤表記は現在も訂正されていない。

 

父親のジョアン・ラモス・ド・ナシメントはサッカー選手でポジションはセンターフォワードを務めていた。

 

「ペレ」の愛称は父親の所属していたサッカークラブ、ヴァスコ・デ・サンロレンソのGKの「ビレ 」のファンであったことに由来している。

 

クラスメイトから自身も「Pelé」と呼ばれるようになったが、本人は少年時代はこの呼び名を好んでおらず、「エジソン」と呼ばれることを望んでいた。

そのため、時にはペレと呼んだ友人を殴り2日間の停学処分を受けたこともあった。

 

1954年に地元のバウルACが下部組織に入団。

そこで父の古くからの友人であり元ブラジル代表選手のヴァウデマール・デ・ブリトに出会い指導を受けることになった。ヴァウデマールはペレの才能に着目し、体のあらゆる部位を使ったボールコントロールの重要性、試合の流れを読むコツ、ボールのない所での動きなどを厳しく教え、選手として成長する上で父と同様に影響を与えることになった。

 

1956年にサントスに入団。

しかし体重が60kgに満たない華奢な体躯であったこともあって直ぐにトップチームでプレーすることは叶わず、リザーブチームやユースチームでトレーニングを積むことになった。

その後、コリンチャンスとの親善試合でデビューを果たし、この試合で初得点を決めた。

1957年のサンパウロ州選手権では得点王となり、同年4月8日に正式契約を結んだ。

 

1961年3月5日、リオ・サンパウロ選手権のフルミネンセFC戦において、自陣のペナルティエリア外でボールを受けると、そのままドリブルを開始し相手選手を次々に振り切りゴールキーパーを含めた6人抜きドリブルからの得点を挙げた。

 

その後、「ペレ」の愛称が多くの価値を生み出すことに気が付き、商標権を獲得して様々な商品に名前の使用を認めることで更に多くの収入を得るようになった。

またサントスFCのチームメイトを誘い投機事業に出資を行うなどしたが、一切の財産管理を一任していた人物が投機に失敗し多額の借金を背負うことになった。

 

1969年1月、最初の遠征地であるコンゴコンゴ民主共和国コンゴ共和国の間で紛争状態にあったが、双方の指導者は試合観戦のために休戦に合意した。

この試合を記念して同国大統領のモブツ・セセ・セコは「国民のスポーツの日」と定めた。

 

1974年、ペレは思い出の地であるメキシコを振り出しに世界キャンペーンに旅立ち、11月19日には訪日し1週間滞在。

静岡県清水市、東京都と広島市で「サッカー教室」を開催した。

 

翌年、ジャイアンツ・スタジアムで行われた引退試合のコスモス対サントスFC戦には7万5千人の観衆が詰掛けた。

ペレは前半はコスモスの選手として後半はサントスの選手としてプレーし前半に1得点をあげ自らの引退の花道を飾った。

試合後のセレモニーでは「愛を!皆に愛を!世界に愛を!」の言葉で締めくくった。

 

引退後は国際サッカー連盟 (FIFA) の大使、フェアプレー委員会の一員として世界中で広報活動に携わったほか、国際連合児童基金ユニセフ)の親善大使に任命され子供の基本的権利の保護を訴えたイベントに関わった。

 

2021年の定期健診の際に上行結腸に結腸がんが見つかり、摘出手術を受けたあと約1カ月間入院し、化学療法を開始した。

 

12月29日に大腸がん進行などによる多臓器不全により82歳で死去した。

 

ちなみにペレが死去した時、彼の母親は100歳でなお健在であった。

 

ジョー・バイデン大統領も「恵まれない生い立ちからサッカー界のレジェンドになったことは何が可能かという物語だった」と称えた。

 

 

まさに伝説のサッカー選手でしたね。

 

本日が皆様にとって、人生最幸の一日になりますように😍

 

 

 

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