おはようございます!
人生あまり難しく考えなさんな。
暗かったら窓を開けろ、
光がさしてくる。
#中村天風
11月29日
今日は、『 いい肉の日』
「いい(11)にく(29)」の語呂合せ
そして、『いい服の日』
「いい(11)ふく(29)」の語呂合せ
本日のお誕生日
勝新太郎さん、林家ペーさん、舛添要一さん、定岡正二さん、斎藤りささん、田口淳之介さんなどなど
もんち的には、15の夜の尾崎豊さんのお誕生日
本日お誕生日の方々、おめでとうございます
㊗️㊗️㊗️㊗️㊗️
1965年、東京都で次男として生まれる。
小学校5年生の時、転校先の学校に馴染めず、毎朝登校するふりをして家を出たあと1時間ほどして家に帰り、実際には登校していない日々が続くようになった。
尾崎が音楽に触れるきっかけとなったのは、兄が購入して使用されていなかったクラシック・ギターを手に取り始めたことであった。
あらゆるフォークソング、シンガーソングライターの曲に興味を持っていた尾崎は、特に井上陽水が描き出す詞の世界観に強く惹かれていた。
小学校6年生になると半年に渡り登校拒否を続けており、その間、井上陽水やさだまさし、イルカの曲をギターを弾きながら歌う日々が続いていた
中学では、生徒会副会長、文化祭実行委員長を務めたが、喫煙により停学処分が下る。
高校在学中には喫煙やオートバイでの事故などで停学、さらに、高校3年生のときには渋谷で同級生らと飲酒した挙句、同じクラスの女子生徒が一気飲みをし急性アルコール中毒で搬送、大学生のグループとパトカーが出動するほどの乱闘騒ぎを起こし、無期限停学処分を下される。
のちに停学処分は解けたが、出席日数が足りず留年となり、自主退学した。
1983年12月、シングル「15の夜」とアルバム『十七歳の地図』で高校在学中にデビュー。
その後口コミにより人気が出て、3rdシングル「卒業」の中の過激な歌詞が話題となりら、2ndアルバム『回帰線』は大手音楽チャート1位を記録、尾崎の名は瞬く間に全国へと広がっていった。
特に10代のころは「社会への反抗・疑問」や「反支配」をテーマにした歌を多く歌い、マスメディアからは「10代の教祖」「若者のカリスマ」などとも呼ばれた。
校内暴力や学生による飲酒・喫煙が横行し、偏差値教育や受験戦争のひずみが露呈していた時代世相と相まって一部の若者の間で社会現象となる。
しかし、20歳になり方向性を見失い突然無期限活動休止を宣言し単身渡米する。
その2年後、覚せい剤取締法違反で逮捕され精神的に低迷。
復帰後にリリースした「太陽の破片」がヒット、フジテレビ系列の『夜のヒットスタジオ』に最初で最後のテレビ出演を行う。
一般人女性と結婚、長男が生まれ、新たな価値観を見出した。
20代になってからの尾崎は、かつての「自由」「反支配」といったものとは違い、「真実の愛」「贖罪」「罪」といったものを主題にした歌を多く作っていった。
1992年早朝、当時の尾崎の自宅から約500メートル離れた、民家の軒先に全裸で傷だらけで倒れていたところを住人に発見された。
一度自宅に帰るも、夫人、兄、マネージャーが見守るなか、自宅で暴れたり眠ったりを繰り返しながら、突如危篤状態となり、救急車で緊急病棟に収容される。
蘇生措置がされるが午後0時6分に死亡。
26歳没。
追悼式には3万7,500人ものファンが詰めかけた。
もんちも大好きでした。
突然の死は本当にショックでしたね。
今でも聞きますし、歌います。
本日が皆様にとって、人生最幸の一日になりますように😍
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