おはようございます!
つらい道を避けないこと。
自分の目指す場所にたどりつくためには進まなければ。
#キャサリン・アン・ポーター
2月24日
今日は、『月光仮面登場の日』
1958年のこの日、ラジオ東京で国産初のテレビ映画『月光仮面』のテレビ放送が始った
本日のお誕生日
草野仁さん、スティーブ・ジョブズさん、大平サブローさん、ASKAさん、コージー冨田さん、岩佐真悠子さんなどなど
もんち的には、Stay hungry, stay foolishのスティーブ・ジョブズさんのお誕生日
本日お誕生日の方々、おめでとうございます
㊗️㊗️㊗️㊗️㊗️
1955年、サンフランシスコで生まれたジョブズは生後すぐに養子に出され、養父母となったポール・ジョブズ、クララ・ジョブズ夫妻によって育てられた。
幼少時代のジョブズはとても手のかかる子どもだったという。
ヘアピンが電気を通すのか確かめるために、ヘアピンをコンセントに差し込んで感電したり、小学校では授業中に花火をしたりするなど、エピソードに事欠かない少年だったという。
1971年の夏、16歳のジョブズは当時21歳のスティーブ・ウォズニアックと知り合い、すぐに意気投合した。
1972年9月、ジョブズはオレゴン州のリード大学に入学した。
しかし、「両親が一生をかけて貯めた学費を、意味のない教育に使うのに罪悪感を抱いた」との理由で中退した。
1975年、Altair 8800というコンピュータ・キットが発売され人気を博していた。
ウォズニアックはAltair 8800よりも優れたマシンを自作できると考え、のちに「Apple I」と命名されるマイクロコンピュータを独力で設計し、完成品を「ホームブリュー・コンピュータ・クラブ」の会合に持ち込み称賛を浴びた。
ウォズニアック自身はコンピュータの回路図を無料配布することを望んでいたが、ジョブズはこのマシンを利用したビジネスを始めるべきだと主張した。
1976年、ジョブズとウォズニアック、そしてロナルド・ウェインの3人は、カリフォルニア州のビジネスパートナーシップとして「アップルコンピュータ・カンパニー」を創業した。
ジョブズは「アップルコンピュータ」という社名の由来について、当時果実食主義を実践していたことに加え、リンゴ農園から帰ってきた直後だったこともあってこの名前を思いつき、その響きが「楽しげで、元気がよく、威圧感もない」と考え、「その上、電話帳でアタリより上に来る名前でもあった」ので採用したのだと説明している。
Apple Iの後継機種である「Apple II」は、1977年4月16 - 17日に開催された第1回「ウェスト・コースト・コンピュータ・フェア」で初めて発表され、その後希望小売価格1,298ドルで発売された。
Apple IIは1980年には10万台、1984年には200万台を超える売り上げで、莫大な利益をアップルにもたらした。
1978年、Apple IIを打ち破る次世代パーソナルコンピュータとして、Lisa・プロジェクトが立ち上げられた。
ジョブズは、会社内での独断専行の立ち居振る舞いから、社長のスコットによってLisaプロジェクトのメンバーから外されてしまう。
行き場を失ったジョブズは、1981年、突如としてMacintoshプロジェクトに参画を宣言する。殴り込みをかけるかのような展開ではあったが、数人で動いていたMacintoshプロジェクトはジョブズを迎え入れた。
ジョブズと対立し、関係が悪化していたスコットが、1981年マークラに解雇された。
ジョブズはスコットの後任としてマーケティングに優れた人物を連れてくる必要に迫られ、ペプシコーラの事業担当社長をしていたジョン・スカリーに白羽の矢を立て、引き抜き工作を行った。
このとき、スカリーを口説くためにジョブズが用いた「このまま一生砂糖水を売りつづけたいか?それとも世界を変えたいか?」というフレーズは有名になった。
しかし、1984年、ジョブズはそのスカリーから全ての業務から解任され、代わりに実権を持たない名目上の会長職を与えられた。
ジョブズはアップルの解任後、シャープ東京支社を訪れて、東京支社長だった佐々木正元副社長に電卓についての相談をしており、「これからはネットワークの時代になるから、携帯IT機器が求められるようになる」との助言を受けていた。
ジョブズは1986年にルーカスフィルムのコンピュータ関連部門を1,000万ドルで買収し、ピクサーと名づけ、そのCEOの座に就いた。
同年、iTunesとiPodによって音楽事業に参入、音楽事業をパソコンと並ぶアップルの事業の柱にした。
数千曲の音楽データを気軽に持ち歩き、スクロールホイールで手軽に楽曲を選び視聴することができるiPodは、世界中に驚きを与えると同時に多くの人々を魅了した。
2005年、スタンフォード大学の卒業式に招かれ、「Stay hungry, stay foolish」という『全地球カタログ』最終号からの引用で締めくくられたそのスピーチは、多くの共感を持って迎えられた。
2006年、ディズニーはピクサーを買収し、同社はディズニーの完全子会社となった。
また、ジョブズ自身も、ディズニーの個人筆頭株主(持株率約7%)になると同時に、ディズニーの役員に就任した。
2007年、ジョブズがiPhoneを発表し、アップルはNewton撤退以来9年ぶりに携帯コンピュータ事業に復帰する。
iPhoneはスマートフォンを再定義する製品となり、ジョブズがCEOを退任する2011年までに、携帯電話事業はアップルの総売上高の5割を占めるまでに成長した。
2010年1月に発表されたiPadは、iPhoneの機能をベースに、画面を雑誌サイズにしたことで、更なる大きな可能性を世界に与えた。
2011年10月5日、膵臓腫瘍の転移による呼吸停止により妻や親族に看取られながら死去した。
56歳没。
彼の残した功績は世界に大きな影響を与えた。
間違いなく歴史に名前が残るだろう。
Stay hungry, stay foolish
本日が皆様にとって、人生最幸の一日になりますように😍
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