もんち 人生迷走中

もんちです 毎朝、その日の名言と、その日、お誕生日の有名人の紹介 などなど 日々の出来事も書きます 宜しくお願い致します

12月23日 毎日が記念日

おはようございます!

 

 

 

心機一転、

やり直せばよいのである。

長い人生の中で、

そのための一年や二年の遅れは、

モノの数ではない。

 

#本田宗一郎

 

 

 

12月23日

 


今日は、『東京タワー完工の日』

 


1958年東京タワーが完成し、高さ333mでパリのエッフェル塔より13m高く、当時世界一の高さの建造物となった日

 


本日のお誕生日

 


城之内ミサさん、武藤敬司さん、山崎まさよしさん、柴田倫世さん、矢田亜希子さん、倉科カナさんなどなど

 


もんち的には、覚えてるで〜の笑福亭鶴瓶さんのお誕生日

 


本日お誕生日の方々、おめでとうございます

㊗️㊗️㊗️㊗️㊗️

 

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笑福亭鶴瓶

 


本名、駿河学

 


本日で68歳。

 


大阪市出身。

5人兄弟の末っ子で、4軒長屋の自宅に祖母を含めた8人暮らしだった。

 


高校ではボクシング部にも所属したが、先輩からの打撃で目を痛め、退部。

2年生の終わり頃に、落語研究会を他の2人の生徒と立ち上げ、浪花亭無学の高座名を名乗った。

 


大学受験でいくつかの大学に合格したが、京都産業大学を選んだのは、入学金が他の大学より破格に安かったことと、推薦入試を受ける友人に付き添って行ったときに出会った女性(のちに妻となる玲子)と再会できるのではないかという理由だった。

 


入学後まもなく偶然玲子と再会し、共通の友人がいたことから落語研究会にマネージャーとして勧誘、玲子には「レモン亭円(まどか)」という高座名も与えられた。

 


アルバイト先の旅館であのねのね清水国明と知り合った。

同じくあのねのね原田伸郎とは落語研究会に入った日に出会った。

 


清水国明原田伸郎、玲子とともに、あのねのねのメンバーとなった(玲子はボーカル、鶴瓶は踊るだけ)。

 


やがて、あのねのねがスターになり、鶴瓶の結婚式に二人が札束を持ってきたエピソードもよく語られる。

鶴瓶の結婚式・披露宴の代金をあのねのねがすべて負担したらしい。

 


大学在籍中に、観覧した落語会での6代目笑福亭松鶴の口演、とりわけ、客先にいた僧侶を見てネタを忘れたという理由でオチだけを話して高座を降りたことに「おもろい」と強い印象を受け、弟子入り先に決める。

しかし、入門は親の承諾が条件で、連れてくるように言われる。

鶴瓶は一計を案じて、「喧嘩で相手を負傷させ、謝らなくてはならない」という理由で父親を同行させ、松鶴から正式な入門の許しを得た。

 

 

 

若手時代、鶴瓶はアフロヘアーにオーバーオールという落語家らしくないスタイルを続けていた。

 


鶴瓶は、吉本興業所属の桂三枝笑福亭仁鶴と比べ、自身の所属する松竹芸能の落語家が年齢が高いというイメージがあり、落語家の「古臭い感じ」に対する反発からそうしたファッションをしていたらしい。

 


1970年代前半は、ユリ・ゲラーをはじめとする超能力・エスパーブームの時期だった。

活動の場が早く欲しかった鶴瓶は、超能力(透視とスプーン曲げ)が使えることを松鶴に打ち明ける。

 


当然ながら超能力はテーブルマジックの類で、周囲に仕掛けを漏らしつつ頭から超能力を持つ弟子と信じ切っている松鶴という場面に持ち込み、必死になって売り込む松鶴に便乗して業界関係者に顔と名前を覚えてもらい、これを手がかりにテレビ、ラジオと進出する足場を作る。

 


しかし、このスプーン曲げは上岡龍太郎の不興を買った。

鶴瓶は正直に事情を話し、上岡も笑って誤解を解いた。

鶴瓶と上岡はこれが縁で互いの楽屋を訪れるようになり、その鶴瓶の楽屋話が面白いということで『激突夜話』『パペポTV』へとつながっていった。

 

 

 

昔からずっとテレビに出てるイメージがありますね。

ぱっと見庶民的で、人柄が良いけど、実は腹黒いらしいですが…。

 


もんちも大好きで、パペポ関係で実際は行われませんでしたが、鶴瓶さんと上岡さんの相撲を見に行ったことがあります。

 


コンプライアンスが煩くなっているテレビで、まだまだ馬鹿をやって欲しいですね。

 

 

 

本日が皆様にとって、人生最幸の一日になりますように😍

 

 

 

#名言

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#笑福亭鶴瓶

#12月23日