もんちの『今日は人生最幸の日』

もんちです 毎朝、その日の名言と、その日、お誕生日の有名人の紹介 などなど 日々の出来事も書きます 宜しくお願い致します

9月28日 今日を最幸の一日に

おはようございます!

 


愛はお互いを見つめ合うことではなく、ともに同じ方向を見つめることである。

 


#サン=テグジュペリ

 

 

 

9月28日

 


今日は、『パソコン記念日

 


1979年のこの日、日本電気がPC-8000シリーズを発売し、パソコンブームの火附け役となった

 


本日のお誕生日

 


ベン・E.キングさん、大塚範一さん、ミカ・ハッキネンさん、仙道敦子さん、渡辺美奈代さん、伊達公子さん、ヒョードルさん、吹石一恵さんなどなど

 


もんち的には、プロテニスプレイヤーの伊達公子さんのお誕生日

 


本日お誕生日の方々、おめでとうございます

㊗️㊗️㊗️㊗️㊗️

 

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伊達公子

 


6歳のとき、京都市にあるテニスクラブで、両親が健康管理のために行っていたテニスに初めてふれる。

滋賀県大津市に転居後、京都市山科区にてデ杯監督竹内映二の父親である竹内穣治がオーナーを務める「四ノ宮テニスクラブ」でレッスンを積む。

中学校時代には「滋賀県テニス選手権」で優勝した。

 


高校卒業後の1989年にプロ転向。

 


1994年、「ニュー・サウスウェールズ・オープン」で海外初優勝。

日本人の女子テニス選手として、史上初の世界トップ10に躍進する。

直後の全豪オープンで初の4大大会ベスト4進出を果たした。

 


全仏オープンで日本人初のベスト4進出を達成する。

その結果、自己最高の世界ランキング4位を記録する。

 


2008年、現役復帰を決意したことが報じられる。

12年ぶりにツアープレーヤーとして再びコートに立つことを表明する。

37歳にしてプロ復帰した理由を「世界と戦うためではなく、若い選手へ刺激を与えるため」と語り、現本名の「クルム伊達公子」でプロ登録した。

 


2017年、「『そう遠くない日』と言っていた日がとうとう訪れました。伊達公子、再チャレンジにピリオドを打つ決断をいたしました」と自身のブログに記し、現役を引退することを表明した。

 


47歳まで現役だったんですね。

凄い。

 

 

 

ライジング・ショット」の名手として、世界的にも有名である。

これは、相手の打ったボールが自分のコートでバウンドした直後の上がり端を打ち返す、非常に高度な技術である。

世界トップ選手へと躍進し始めた頃の伊達は、“ライジング・サン”(日の出)と呼ばれた。

 


2001年にドイツ人レーシングドライバーミハエル・クルムと結婚。

結婚当初は「クルム公子」としたが、家庭裁判所での姓の変更を経て「クルム伊達公子」となった、

しかし、2016年9月26日にミハエル・クルムとの離婚を発表。

 

 

 

今は大坂なおみさんが、テニスでは有名ですが、僕のプロテニスプレイヤーとしては、伊達公子さんが一番ですね。

 

 

 

本日が皆様にとって、人生最幸の一日になりますように😍

 

 

 

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