おはようございます!
ひとつ歳をとることで新しい自分が現れて過去の自分を塗り替える。
若くいたい、なんてちっとも思いません。
#大島優子
9月2日
今日は、『宝くじの日』
第一勧業銀行宝くじ部が1967年に制定
「く(9)じ(2)」の語呂合せ
当選しても引き換えにこない人の金額が200億あるらしい
本日のお誕生日
伊藤博文さん、原哲夫さん、キアヌ・リーブスさん、小林ひとみさん、早見優さん、横山めぐみさん、細川ふみえさん、国分太一さんなどなど
もんち的には、ピンクレディーのケイさん事、増田恵子さんのお誕生日
本日お誕生日の方々、おめでとうございます
㊗️㊗️㊗️㊗️㊗️
増田恵子
1972年、中学校3年生の時に根本美鶴代(後のミー)と出会う。
1973年、高校一年生の時に、根本とともにヤマハのオーディションで優勝。
1974年、根本とデュオを組み「クッキー」の名でコンテストに出場。
曲は「恋のレッスン」。
1976年にピンク・レディーの“ケイ”としてデビュー。
デビュー直後にはキワモノ的な見方もされたが、まずは当時の子供たちが振り付けを熱心に覚えて真似をし始めた。
そのため老若男女に幅広く人気を獲得することに成功。
レコードが大ヒットするだけではなく、人気が高まるにつれ衣料品や文房具、食器、自転車や食品まで多くの業種のさまざまな商品に二人の姿がプリントされたキャラクターグッズが販売され、ピンク・レディーの存在は想像を絶する巨額の経済効果を派生させることになった。
当時はデビューしたばかりのサザンオールスターズがピンクレディーの「渚のシンドバッド」に敬意を表して、同年に大ヒットした沢田研二の「勝手にしやがれ」と曲名を掛け合わせ、自分たちのデビューシングルの曲名を「勝手にシンドバッド」としたらしい。
また、「サウスポー」では“左利きの女性投手が王貞治と一騎討ちをする場面”が描かれており、これは当時一世を風靡した“読売巨人軍の四番打者・王貞治のホームラン世界記録ブーム”を背景としたものである。
その後、全米デビューシングルとなった「Kiss In The Dark」がビルボード総合37位を獲得。
全米のゴールデンタイムで、自らの名前を冠する番組を持つなど確実に実績を積んでいった。
米国でピンク・レディーほど活躍した日本人歌手は今のところ他には存在しないと言われている。
1981年3月31日のピンク・レディー解散後はソロ歌手となる。
中島みゆき作詞のデビュー曲の「すずめ」が26.7万枚のヒット。
2017年の年末のレコード大賞で、ピンク・レディーとしてステージに立ち、「ぺッパー警部」「ウォンテッド」「UFO」の3曲を披露した。
もんちの時代のセクシースーパーアイドルでしたね。
ミー派とケイ派でよく揉めてましたね。
本日が皆様にとって、人生最幸の一日になりますように😍
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