おはようございます!
困難を予期するな
決して起こらないかも知れぬことに
心を悩ますな
常に心に太陽を持て
10月13日
今日は、『引っ越しの日』
1868年のこの日、明治天皇が京都御所から江戸城(現在の皇居)に入城された
本日のお誕生日
ポール・サイモンさん、大和田獏さん、橋爪淳さん、生瀬勝久さん、吉本多香美さん、松嶋菜々子さん、misnonoさん、益若つばささんなどなど
もんち的には、せんせいの森昌子さんのお誕生日
本日お誕生日の方々、おめでとうございます
㊗️㊗️㊗️㊗️㊗️
本名、森田昌子
前夫は森進一。
長男はロックバンド「ONE OK ROCK」のボーカリストであるTaka。
次男は、テレビ東京に勤務するサラリーマン。
三男はロックバンド「MY FIRST STORY」のボーカリストであるHiroこと森内寛樹。
1971年、10月開始の日本テレビ『スター誕生!』に13歳で出場。
初代グランドチャンピオンとなる。
グランドチャンピオンになった結果、家に色々な芸能プロダクションが来て、昌子を芸能界に勧誘するようになった。
父親は猛反対だったものの、家が貧しかったこと、母親の体が弱かったことから、家計の助けになるであろうと、昌子本人が父を説得して芸能界デビューした。
ホリプロダクションに所属。
ホリプロに決めたのは、学業と両立させてくれるからだった。
1972年『せんせい』で歌手デビュー。
当時のキャッチフレーズは、「あなたのクラスメート」と称された。
その翌年デビューした同学年の山口百恵、桜田淳子とともに「花の中三トリオ」と呼ばれる。
1973年、第24回NHK紅白歌合戦に出演。
この中三トリオで最初にNHK紅白歌合戦に初出場を果たしたのは森であり、当時女性最年少の15歳での出場だった。
1973年、松竹の『男じゃないか・闘志満々』で映画デビュー。
同年、『としごろ』で主演に抜擢された。
1977年、堀越高校を卒業。
1977年の『なみだの桟橋』以降、本格的な演歌歌手への道を歩み始め、『津和野ひとり』『彼岸花』など、難易度の高い曲を歌いこなせる実力派へと成長。
演歌の道へ進んでいく。
美空ひばりからはプライベートで「マチャコ」と呼ばれていたが、初対面での印象「まあ、ちっちゃい子」から「マチャコ」と呼ぶようになった。
1981年、第32回NHK紅白歌合戦では『哀しみ本線日本海』で出場9回目、23歳にして初の紅組トリを務める。
1983年、『越冬つばめ』で第25回日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞。
感激の余り受賞時に嬉し涙を流しながら歌い、その後の第34回NHK紅白歌合戦でも泣きながらの歌唱となる。
TBSの金曜ドラマ『想い出づくり』などドラマにも出演、女優としても活躍した。
1986年に森進一と結婚。
2005年2月、自宅で過呼吸の発作を起こし、意識を失って倒れ緊急入院した。
薬物中毒と診断され、集中治療室にて胃洗浄を受けた。過換気症候群とも呼ばれる一種のパニック障害だった。
集中治療室から一般病棟に移って間もなく、夫の進一が医師に退院を要請し、本人の同意の上で、わずか1日で退院した。
このことが様々な憶測を呼び、ワイドショーや週刊誌に不仲説が取り上げられて、後の離婚騒動に発展した。
同年3月、進一と別居。
4月19日、離婚を発表。
親権を長男が昌子側、次男と三男が進一側で持ち、養育権は3人とも昌子側とすることを進一が提案し、昌子が同意した。
2006年旧所属事務所のホリプロから歌手として復帰することを正式発表。
和田アキ子・片平なぎさ・榊原郁恵らにより、『おかえり! 昌子激励の会』が開かれ、関係者700人が詰め掛けた。
2009年、子宮筋腫の手術を受ける。
この頃から、年期障害や貧血、デビュー当時の歌唱力を失った自信喪失などからうつ状態に陥る。
2019年、年内限りでの芸能界引退を所属事務所が発表。
まだまだ、頑張って欲しいですけどね。
本日が皆様にとって、人生最幸の一日になりますように😍
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