おはようございます!
ぼくはいつも自分が純粋に感じたこと、
考えたことを、
理解されようがされまいが
ダイレクトにぶつける。
#岡本太郎
1月18日
今日は、『118番の日』
海上保安庁への緊急通報用電話「118番」を広く知ってもらうための活動が行われる日
本日のお誕生日
小椋佳さん、おすぎさん、ピーコさん、衣笠祥雄さん、森山良子さん、ケビン・コスナーさん、秋野暢子さん、片桐はいりさん、中山忍さんなどなど
もんち的には、コマネチのビートたけしさんのお誕生日
本日お誕生日の方々、おめでとうございます
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本名、北野武。
塗装職人の父・北野菊次郎と、母・北野さきの四男(幼少時に早逝した兄が一人いるため、実質は三男として育つ)として生まれ、「竹のようにどんなものにも耐えてすくすく伸びてほしい」との願いから、「武(たけし)」と命名された。
大学時代は友人の下宿に居候しアルバイト三昧の青春時代を過ごす。
ジャズ喫茶のボーイ以外に、菓子の計り売り、実演販売員、ビルの解体工、クラブのボーイ、東京国際空港での荷卸し、タクシー運転手、ガソリンスタンド店員を転々とする。
1972年夏、浅草のストリップ劇場・浅草フランス座で、芸人見習い志願としてエレベーターボーイを始める。
フランス座に出入りしていた2年先輩の兼子二郎(のちのビートきよし)から漫才コンビを組むよう誘いを受けた。
空たかし・きよしと名乗り、営業に出たこともあった。
当時はツッコミ担当で、ネタはきよしが作成していた。
演芸場のギャラは安いため、地方キャバレーなども回るようになるが、たけしは酔客相手の仕事を嫌い、出番をすっぽかしたり、酩酊して舞台に上がることが多かった。
紆余曲折の後、2人はコンビ名を「ツービート 」へと変更し、たけしは「ビートたけし」、兼子は「ビートきよし」を芸名とした。
1980年、「マンザイブーム」が起こり、ツービートは毒舌漫才と毒舌ネタを売り物に、B&Bやザ・ぼんち等と共に一躍知名度を上げた。
ツービートとして出演していた『スター爆笑座』 の初代司会であったせんだみつおと楽屋で雑談中に、たけしの代表的ギャグとして知られる「コマネチ!」のギャグが生まれた。
漫才ブームを生き残ったたけしは、自身のスタイルを大きく転換させる。
毒舌家というパブリックイメージはそのままに、ネタに依存する消耗度の高い喋りを捨て、パーソナリティを軸とした芸風に移行していく。
タモリ、明石家さんまと共に、日本のお笑いBIG3の一角を担う。
1981年元旦からニッポン放送・NRN系のラジオ番組『ビートたけしのオールナイトニッポン』、同年5月からフジテレビ系の『オレたちひょうきん族』がそれぞれ開始される。
1986年、たけし軍団の軍団員とともに講談社のフライデー編集部を襲撃、住居侵入・器物損壊・暴行の容疑で、大塚警察署によって現行犯逮捕される。
1994年(平成6年)8月、バイクによる自損事故を起こし重傷を負う。
『あの夏、いちばん静かな海。』
『ソナチネ』
『キッズ・リターン』
『HANA-BI』
『菊次郎の夏』
『BROTHER』
『座頭市』
『アウトレイジ』シリーズ
バラエティだけじゃなく、映画も大好きです。
まだまだこれからも最前線で活躍してもらいたいですね。
本日が皆様にとって、人生最幸の一日になりますように😍
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