おはようございます!
お笑いに限らず、常識をバカにする奴に、常識を超えたことは絶対にできない。
#志村けん
阪東妻三郎の三男で、長兄の田村高廣、弟の田村亮と共に、「田村三兄弟」と呼ばれる。異母弟に俳優の水上保広。
当時は地味で暗い風貌であったことや、声があまり通らないことなどから成功には程遠かったものの、やがて1970年に出演したテレビドラマ『冬の旅』で改めて存在を認識され、人気に火が付いた。
1983年スペシャル時代劇版『乾いて候』が好評であったため、1984年連続版『乾いて候』が製作され、田村三兄弟が共演して話題となった。
また同年『うちの子にかぎって…』に出演し、それまでのイメージを完全に覆す三枚目の役、田村にとってターニングポイントとなった。
ちょっと頼りない優柔不断で生徒に振り回される小学校の先生役が見事にはまり大ヒット。
恋愛ものでは元来のキャラクターである二枚目でダンディな男性を演じ、夫婦ものでは悩み多きコミカルな夫、55歳を過ぎてからは頑固で涙もろい父親役など、幅広い役柄で主演し、テレビドラマ界での主演スターとしての地位を築いた。
1994年から放送の刑事ドラマ『古畑任三郎』役では、和製刑事コロンボとも言える新境地を開き、10年以上にわたって演じる当たり役となった。
ほとんどNGを出さない話は有名であるが、その理由は「同じセリフは2度言いたくない」かららしい。
古畑任三郎に明石家さんまが出演した際、現場では台詞が覚えられず、NGを連発するさんま。
あるとき、痺れを切らした田村正和が、「今度間違えたら私は帰りますよ」と言ったそうです。
しかしその直後、普段滅多にNGを出さない田村がまさかのNG。
さんまとしては、このブーメラン現象に鬼の首をとったかのような痛快さを感じたのか。
「あんたも間違えてまんがな!」みたいなノリでいじると、田村は怒って楽屋へと帰ってしまったらしい。
他にも、SMAPのメンバーやイチローも出演していた、大ヒット名作である。
2018年、父親が作った阪妻プロの跡地に建つ東映京都撮影所で撮影された『眠狂四郎 The Final』に出演。
俳優人生の締めくくりとした。
2021年2月に風邪をこじらせて検査入院。
その後、周囲にはリハビリを行っていると伝えられていたが、同年4月3日16時20分、心不全のため、東京都港区の病院で死去。
77歳だった。
その死は関係者にも伏せられ、5月18日に訃報が広く報じられたが、マネージャーですらその1週間前まで田村の死を知らされていなかった。
ご冥福をお祈り致します。
本日が皆様にとって、人生最幸の一日になりますように😍
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