おはようございます!
過去には帽子を脱いで
敬意を表し、
未来には上着を脱いで
立ち向かいなさい。
#クレア・ブース・ルース
4月2日
今日は、『こどもの本の日』
本日のお誕生日
岡本綾子さん、忌野清志郎さん、入江雅人さん、坂本ちゃん、ZEEBRAさん、カンニング竹山さんなどなど
本日お誕生日の方々、おめでとうございます
㊗️㊗️㊗️㊗️㊗️
本名:栗原 清志(くりはら きよし)。
清志郎の母親の最初の夫(清志郎の実の父親ではない)は結婚して間もなく戦死している。
母親は清志郎が3歳の時に33歳で亡くなった。
その後、清志郎は伯母夫婦に養子として引き取られた。
中学校時代にエレキブームに刺激を受け、ベンチャーズなどのカバーバンド「No Name」を結成、音楽活動を始める。
1966年初頭、フォークブームに刺激を受け、同級生でバンド仲間だった小林和生(のちの林小和生)、桶田賢一(のちの破廉ケンチ)と共に「The Clover」を結成する。
高校時代は学校に馴染めず、かと言って不良でもなく、物静かな少年だった。
あと何日休んだら単位が落ちるかを計算して、サボれるだけサボッていた。「トランジスタ・ラジオ」の中に授業をサボッて屋上でタバコを吸っているという歌詞があるが、これは清志郎の実体験である。
1968年、「R.C.サクセション」結成。
「忌野」という芸名は、テレビアニメで悪役の登場シーンにおいて、「あの忌まわしい鉄仮面」というナレーションを幼少期に「カッコイイ言葉だな」と感じ、「今わの際」という日本語と掛け合わせて「忌野」と命名した。
ちなみに日本には忌野という名字はない。
1980年のシングル「雨あがりの夜空に」「トランジスタ・ラジオ」、アルバム『RHAPSODY』のヒットで、YMOの坂本龍一と並び、RCサクセションの忌野清志郎はメディアの寵児として取り上げられることになった。
1982年、坂本龍一と組んでシングル「い・け・な・いルージュマジック」を発表。
これ以降、RCサクセションとしての活動のかたわら、数多くのユニットでも活動。
1991年、RCサクセションは無期限活動休止を表明。
2006年、公式ウェブサイトにて喉頭癌で入院することを発表し、すべての音楽活動を休止する。
癌の摘出をすると声が出なくなると宣告されたことから、放射線や抗癌剤での完治を図り、入院後2週間で代替医療へと治療法を変更。
2008年2月、日本武道館にて『忌野清志郎 完全復活祭』を開催し、本格的に活動を再開する。
2008年7月、公式ウェブサイト「地味変」にて左腸骨への癌の転移を発表し、再びライブ活動を休止。
2009年5月1日午後に容態が急変し、5月2日に癌性リンパ管症のため死去した。
58歳没。
忌野清志郎さんの葬儀で、甲本ヒロトさんが読んだ弔辞で泣いてしまったのを思い出します。
『一生忘れないよ。短いかもしれないけど、一生忘れない。ほんで、ありがとうを言いに来たんです。数々の冗談、ありがとう。いまいち笑えなかったけど。はは……。今日もそうだよ、ひどいよ、この冗談は……。
うん。なるべく笑うよ。そんでね、ありがとうを言いに来ました。清志郎、ありがとう。それから後ろ向きになっちゃってるけど、清志郎を支えてくれたスタッフのみなさん、それから家族のみなさん、親族のみなさん、友人のみなさん、最高のロックンロールを支えてくれたみなさん、どうもありがとう。どうもありがとう。
で、あとひとつ残るのは、今日もたくさん外で待っている、あなたのファンです。彼らにありがとうは、僕は言いません。僕もそのひとりだからです。それはあなたが言ってください。どうもありがとう! ありがとう! 』
きっと天国でもロックンロールしてるんでしょうね。
本日が皆様にとって、人生最幸の一日になりますように😍
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