おはようございます!
限界などない。
踊り場があるだけだ。
そこに居座ってはいけない。
それを越えて行くのだ。
3月25日
今日は、『ドラマチック・デー』
1956年のこの日、巨人の樋笠一夫が史上初の代打満塁逆転サヨナラホームランを打った
本日のお誕生日
樋口一葉さん、エルトン・ジョンさん、ジャンボ鶴田さん、嘉門達夫さん、宮川一郎太さん、織田信成さんなどなど
本日お誕生日の方々、おめでとうございます
㊗️㊗️㊗️㊗️㊗️
本名、下田 忠男(しもだ ただお)。
当時は俳優になる事も夢見ていたが、6年かけて卒業した後は弁護士事務所に就職するも、その後はセールス、探偵、保険調査員、塾講師、週刊誌記者など、20種以上の職を転々としてきた。
28歳の保険調査員時代に地方出張の移動時間を利用して読書をしているうちに作家を志すようになり、29歳の時虫垂炎と腹膜炎で長期入院したことをきっかけに短編の執筆を開始。
それから仕事の傍ら作品を応募し続ける。
3〜4年目くらいから候補作には毎回のように挙げられるようになってきたものの受賞には至らず、メディア業界の知人から受けた「短編を書くならストーリーの面白さよりも登場人物を重視するといい」というアドバイスを参考に書き上げた『やっとこ探偵』で、1976年、小説現代新人賞を受賞、プロデビューを果たす。
1980年、国鉄職員だった父が北海道に赴任した際に聞いた話をもとに書き上げた大作『黄色い牙』で直木賞を受賞した。
「それゆけ孔雀警視」は1987年『水曜ドラマスペシャル』でドラマ化され、志穂美悦子が演じた。続編と第3作では賀来千香子に交代している。
執筆活動の他奇抜なファッションセンスが注目され、1980年代後半には山本寛斎のファッションショーでモデルを務めた。
1990年代にはタレントとしてバラエティ番組やドラマ番組に出演したり、ファッションブランド「KIBA」を立ち上げるなどエキセントリックな行動と存在感と名前の通り「過激」なファッションスタイル及び脚線美で注目を集めた。
キャラクター性も抜群であり、本人もタレント活動にも積極的で数多くのバラエティ番組、ドラマなどにも出演した。
1999年、妻と共に「よい子に読み聞かせ隊」を結成する。
以後、テレビタレント活動、小説執筆をセーブし、自ら全国各地で読み聞かせ行脚を行い、童話・絵本執筆も手がけるほか、不登校の子どもたちの支援や心療内科を考える会など、社会的活動にも熱心である。
Twitterでは、人生相談において、真摯かつ心温まる回答もあり、フォロワー数が20万人を超えた。
2014年、事務所で、金庫の鍵を壊され6,000円を盗まれるという事件が発生した。
2017年春に膠原病。
2018年には関節リウマチと診断された。
2019年に転倒し腰を圧迫骨折している。
細くて、奇抜な格好でしたね。
最近見かけませんね。
本日が皆様にとって、人生最幸の一日になりますように😍
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