おはようございます!
愛を取り去れば、この世は墓場だ。
3月10日
今日は、『東京都平和の日』
1945年、東京でアメリカ軍B29爆撃機による弾爆撃があり死者約10万人の被害を出した日
本日のお誕生日
渥美清さん、藤子不二雄Aさん、徳光和夫さん、シャロン・ストーンさん、藤谷美和子さん、つぶやきシローさん、博多大吉さん、藤井隆さん、山田花子さん、魔裟斗さんなどなど
本日お誕生日の方々、おめでとうございます
㊗️㊗️㊗️㊗️㊗️
蒲池 法子(かまち のりこ)。
福岡県久留米市出身。
生家は柳川城の城主だった蒲池氏第16代目蒲池鑑盛の三男・蒲池統安の子孫であり、江戸時代は柳川藩家老格だった旧家。
幼少期太っていた聖子は、「ブタまんじゅう」と呼ばれてからかわれていた。
高校2年となる1978年、『ミス・セブンティーンコンテスト』九州地区大会に桜田淳子の「気まぐれヴィーナス」を録音したテープを送り予選合格。
九州地区大会で優勝。
1979年、社長から来年3月の卒業後に来るように告げられるが、7月、卒業を待たずに高校を中退し歌手デビューのため単身上京。
当時のトップアイドルであった山口百恵の引退という、時代の転換期である1980年にデビューすることとなる。
資生堂の洗顔クリーム「エクボ」のCMモデルには不合格になったが、「エクボ」のCMのイメージソングの歌唱起用が1980年に決定し、「裸足の季節」で歌手デビュー。
同年8月には、2枚目のシングル「青い珊瑚礁」で、『ザ・ベストテン』に第8位で初ランクした。
9月、「青い珊瑚礁」は『ザ・ベストテン』での第1位を初めて獲得した。
『ザ・ベストテン』で「青い珊瑚礁」が2週連続第1位となり、「さよならの向う側」で10位にランクインした山口百恵と初共演した。
1980年末の第22回日本レコード大賞の新人賞を受賞。第31回NHK紅白歌合戦にも初出場した。
聖子の人気はうなぎ登りとなった。
その「ぶりっ子」と言われるほどの可愛らしい仕草や容姿も注目され、彼女のセミロングのふわっとした女の子らしいヘアスタイルは「聖子ちゃんカット」と呼ばれて全国の若い女性の間で大流行し、翌年1981年の年末に突然、聖子がショートカットになると今度はショートカットが流行り出した。
「SWEET MEMORIES」は、サントリーの缶ビールのCM曲だった。
CM使用部分は英語詞の部分で、当初は「歌・松田聖子」のテロップ無しだったため、「誰が歌っているのか?」という問い合わせや反響が相次いだ。
聖子の代表曲である「赤いスイートピー」が松任谷由実の初めて手掛けた曲であることはあまり知られていない。
因みに編曲は松任谷正隆である。
80年代の人気絶頂期に、交際していた郷ひろみとの突然の破局もあり、記者会見を単独で行い、「生まれ変わったら一緒になろうねと話し合った」と泣きながら語る一幕もあった。
そして、その破局会見からわずか数か月後には、映画『カリブ・愛のシンフォニー』で共演していた神田正輝との婚約を発表。
派手な結婚式を挙げるなど芸能ニュースを賑わせた。
1986年に、神田正輝との間の長女・沙也加を出産後もすぐに休業前と変わらずアイドル歌手として活躍した。
「ママドル」という言葉が最初に使われ始めたのは聖子の例からで、その後、かつてアイドルであった子持ちの女性タレントを示す言葉として頻繁に使用されるようになった。
1996年発表の「あなたに逢いたくて〜Missing You〜」は、久々にチャート1位となり、自身シングル初のミリオンセラーを記録し、聖子の最大のヒット曲となった。
私生活では1997年に神田正輝と離婚。
翌1998年に、6歳年下の歯科医師と2度目の結婚。
のち2000年に離婚。
2012年に、同世代の大学准教授(歯科医)と3度目の結婚。
2000年代に渉るその活動に敬意を表して「永遠のアイドル」と称されることもある。
『女性自身』や『婦人公論』その他の雑誌、TVなどのメディアにおいて「生き方に憧れる女性有名人」「輝いている女性有名人」「スターだと思う有名人」「永遠のアイドルだと思う有名人」などの好感度アンケートでは常に上位にランクインした。
まさにアイドル全盛期の時代のトップにいましたね。
今でもお美しく、活躍されてますよね。
まだまだ現役で頑張って欲しいです。
本日が皆様にとって、人生最幸の一日になりますように😍
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