おはようございます!
真剣に考えるべきことを学んだら、
残りは笑い飛ばせばいい。
2月13日
今日は、『苗字制定記念日』
1875年のこの日、明治政府がすべての国民に姓を名乗ることを義務附けた
本日のお誕生日
フランキー堺さん、森本レオさん、佐藤B作さん、南こうせつさん、矢野顕子さん、出川哲朗さん、ヒロミさん、南原清隆さん、有村架純さんなどなど
もんち的にはリアルガチに出川哲朗さんのお誕生日
本日お誕生日の方々、おめでとうございます
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神奈川県横浜市出身。
実家は横浜市の老舗海苔問屋『つた金海苔店』で、哲朗の家族が経営しており、哲朗自身も過去に取締役に就いていたことがある。
中学時代は水泳部、高校時代は軟式野球部に所属していた。
武相高等学校の後輩に元プロ野球選手のパンチ佐藤(1期下)、堤下敦がおり、中学の後輩には坪倉由幸(我が家)がいる。役者下積み時代の仲間にエド・はるみがいる。
高校時代はヤンキーで、当時のあだ名は「キレたナイフ」だったと自称している。
1985年に横浜放送映画専門学院を卒業。
1987年2月、専門学校時代の同級生だったお笑いコンビ・ウッチャンナンチャン(内村光良・南原清隆)、入江雅人らと『劇団SHA・LA・LA』を旗揚げ、自らは座長となり、公演を開始する。
この時は自らメンバーを含めたギャラ交渉・スケジュール管理をしていた。
ちなみに南原清隆も本日お誕生日である。
1986年、『君は裸足の神を見たか』で映画デビュー。
1986年から1989年まで、端役ながら映画『男はつらいよ』シリーズの第37作『幸福の青い鳥』から第41作の『寅次郎心の旅路』まで、5作品連続で出演している。
この時期は他にも多数の映画にエキストラとして参加しているらしく、ウッチャンナンチャンから「エキストラの帝王」と呼ばれていたこともある。
1990年4月からはテレビ番組『ウッチャン・ナンチャン with SHA.LA.LA.』に出演、この頃からテレビタレントとして本格的に活動を始める。
その後、テレビ番組『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』をはじめとした、体を張ったロケ・ドッキリ企画などで見せる立ち振る舞いやリアクションの面白さが徐々にお茶の間に浸透し、次第にテレビ番組において欠かせない、いわゆる「汚れ役」「イジられキャラ」としての地位を確立していった。
この「汚れ」キャラクターが世の中に浸透していくにつれ、女性視聴者層から敬遠される傾向が出始め、女性ファッション誌『an・an』が毎年行っている読者アンケート「嫌いな男ランキング」では毎年上位にランクインするようになり、2001年から2005年までに5年連続1位を達成し、「殿堂入り」扱いとしてアンケートの対象から除外された。
2004年、元モデル・レースクイーンの阿部瑠理子と結婚し、嫌われキャラとのギャップで世間を騒がせた。
プロポーズの際には、テレビ番組『ロンドンハーツ』が全面的に援助。推定5000万円の制作費を費やしてイタリア・ローマ市内でロケーションが行われ、一連の模様が全国ネットで放送された。
2007年2月放送開始の世界の果てまでイッテQ!に出演し体を張ったリアクション芸、「デヴィ夫人の死ぬまでにやりたい10のコト」等でのデヴィ夫人との掛け合い、出川イングリッシュ等で、「汚れ役」「いじられキャラ」の徹底した仕事、出川本来の人柄が認知され、現在は人気・好感度の高いタレントとなった。
マセキ三兄弟は、出川哲朗さんを筆頭に面白くてよく見ます。
人柄の出川さんの人柄の良さがテレビから滲み出てますね。
いつまでリアクション芸が出来るか分かりませんが、是非続けて欲しいですね。
国民のオモチャですよね。
本日が皆様にとって、人生最幸の一日になりますように😍
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