おはようございます!
良心に照らして
少しもやましいところがなければ、
何を悩むことがあろうか
何を恐れることがあろうか
#孔子
1月30日
今日は、『3分間電話の日』
1970年のこの日、公衆電話からの市内通話の料金が3分で10円になった
それまでは1通話10円で、時間は無制限だった
本日のお誕生日
横山ノックさん、柳ジョージさん、石川さゆりさん、ぜんじろうさん、松本典子さん、加藤紀子さん、吉村由美さん、板倉俊之さんなどなど
本日お誕生日の方々、おめでとうございます
㊗️㊗️㊗️㊗️㊗️
「田河水泡の弟子になりたい」という町子の独り言に姉と母は奔走。
山脇高女在学中に田河水泡に師事する。
その後、田河の引き立てにより『少女倶楽部』に掲載された見開き2ページの『狸の面』で漫画家デビューする。
戦時中、空襲からの疎開と徴用回避のため、福岡の知人の勧めにより福岡市百道に長谷川一家は疎開し、町子は西日本新聞社に絵画部の校閲係として勤務する。
1946年に自宅の近所である百道海岸付近を妹と散歩しているときに『サザエさん』の家族構成や名前を思いついた。
その後、町子と姉・毬子への仕事のオファーがあったため、『サザエさん』はサザエの結婚で一旦打ち切りとして同年の暮れに一家そろって上京する。
同年には、毬子と共に設立した姉妹出版(のち姉妹社)から、福岡の家を売った資金で『サザエさん』第1巻を出版する。
初版2万部を納め、集金も出来たので2万部を増刷したところ、B5判の横綴じという第1巻の形状が書店の店頭に並べにくいとの理由により大量返品を受け、姉妹出版は当時の出版取次大手業者の日本出版配給から出入り禁止の処分を受けた。
その後、長谷川家は日配から戻された第1巻の在庫に占拠される事態となった。
しかし、母の貞子が「形状が不評なのだから次はB6判で出せば良い」と励まし、B5判を当初勧めた筋から新たに借り入れた資金で『サザエさん』第2巻を1万部印刷。
日配が使えなくなったため、毬子が大八車を雇って直接小規模取次を回り頼み込んで第2巻を納入していたが、その第2巻が読者に好評だったため、B5判の第1巻も書店から引き合いが来るようになった。
以降、『サザエさん』の第1巻はB6判に改訂されて再出版され、姉妹社で全68巻が刊行された。
1967年、47歳の時に胃潰瘍になり、胃の5分の4を摘出した。
実際は胃潰瘍でなく胃癌であったが、妹・洋子の夫が癌で夭折していることを知っていた町子は「癌になったら自殺する」と周囲に述べていたため、家族は胃潰瘍で貫き通した。
1974年2月22日付で『サザエさん』を3年間の休載とするが、その後再開される事は無かった。
1992年、死去。
享年73歳。
当時の報道では自宅の高窓を閉めようとして机から落ち全身を打撲、打撲の痛みで体調を崩し、通院治療を受けていたが、徐々にろれつが回らなくなり、食欲がなくなるなど衰弱した末、死去の前日にはほとんど食事をとらず、翌朝までに息を引き取っていたという。
サザエさんの著作権は長谷川町子美術館にあり、版権等は全て一族が管理してる。
アニメは制作会社が作っており、ストーリーは脚本家が原作を元にして季節に合った話を書いているようです。
本日が皆様にとって、人生最幸の一日になりますように😍
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