もんち 人生迷走中

もんちです 毎朝、その日の名言と、その日、お誕生日の有名人の紹介 などなど 日々の出来事も書きます 宜しくお願い致します

8月22日 今日は人生最幸の日

おはようございます!

 


僕は勉強の仕方だけ知っていれば、

世の中って何とでもなると思うんです。

 


#石坂浩二

 

 

 

8月22日

 


今日は、『チンチン電車の日』

 


1903年、新橋~品川で東京で初めて路面電車(チンチン電車)が走った日

 


本日のお誕生日

 


みのもんたさん、タモリさん、平松伸二さん、内場勝則さん、岡田有希子さん、羽野晶紀さん、佐野量子さん、なべやかんさん、菅野美穂さん、斎藤工さん、北川景子さんなどなど

 


もんち的には、お笑いビッグ3のタモリさんのお誕生日

 


本日お誕生日の方々、おめでとうございます

㊗️㊗️㊗️㊗️㊗️

 

f:id:monchi2007:20200719183239j:image

 

タモリ

 


本名、森田一義

 


小学3年生のとき、下校途中に電柱のワイヤに顔をぶつけ、針金の結び目が右目に突き刺さって失明。

2ヶ月休校して治療したものの、視力は戻らなかった。

 


高校時代は、剣道部と吹奏楽部を両立してトランペット兼司会を担当していた。

アマチュア無線クラブにも入っていて、船の無線通信士にもあこがれた。

さらに居合道場も通い、二段を取得した。

 


その後、朝日生命で3年近く保険外交員として勤める。

同僚で2歳年上の一般女性と結婚。

その後、旅行会社に転職し、系列のボウリング場に転属、支配人となる。

 


福岡で生活しつつ、カンパの資金により月1で上京して「素人芸人」として即興芸を披露するという一種の二重生活を送っていたが、同年夏、面白いことをやっている人間がいるという噂を聞きつけた赤塚不二夫が訪れる。

 


赤塚宅での居候生活が始まり、赤塚から月に20〜30万円の小遣いが渡されていた。

 


バラエティ番組『マンガ大行進赤塚不二夫ショー』で、テレビ番組初出演を果たす。

たまたま番組を見ていた黒柳徹子から「今の人、誰?すごいじゃない」と、その夜のうちに問い合わせがあり、次いで『13時ショー』(「徹子の部屋」の前身番組)の素人芸能コーナーに、赤塚とともに2回目のテレビ番組出演をした。

 


30歳で芸能界デビューを果たしたため、ビートたけし笑福亭鶴瓶明石家さんまなどは年齢が下だが先輩になる。

 


1980年からは、芸能生活5年目のキャリアで、お笑いオーディション番組「お笑いスター誕生!!」の審査員を赤塚不二夫京唄子鳳啓助らと行っていた。また、オーディションに来ていたとんねるずに対して、タモリ、赤塚以外の審査員らにはとんねるずの芸は不評であったが、何故か2人のみが「何か良いんじゃないか」と高評価であったと後年とんねるずは語り、それ以前から尊敬していたがさらに崇拝度合いが増したと語った。

 


森田一義アワー笑っていいとも!』は開始当初こそ低迷したものの、間もなく人気となり、2014年3月31日の放送終了まで31年半続く長寿番組となった。

 


また、この時期、深夜番組向けであるタモリの芸風を崩さないという目的で深夜バラエティ番組『タモリ倶楽部』も放送開始、これもまた、30年以上続く人気番組となっている。

 


2002年4月5日、『笑っていいとも!』が放送5000回を達成。「生放送単独司会世界最高記録」としてギネスブックに登録された。

 


2008年8月2日、赤塚不二夫が肺炎のため死去。7日の告別式にタモリが自身の生涯で初めて弔辞を読み「私もあなたの数多くの作品のひとつです」と語った。

 


この弔辞は7分56秒にも及ぶものであり、手にしていた紙を何度も見ながら時折涙声で読んでいたが、実際にはその紙は全くの「白紙」だった。

 


真剣にやれよ!仕事じゃねぇんだぞ!

 


タモリの名言は身に染みるのが多いです。

 

 

 

本日が皆様にとって、人生最幸の一日になりますように😍

 


#名言

#誕生日

#石坂浩二

#タモリ

#笑っていいとも!

#8月22日