おはようございます!
愛は理解の別名である。
今日は、『ホワイトデー』
269年2月14日、自由結婚禁止政策にそむいた男女を救う為、バレンタイン司教が殉教し、その一箇月後に、二人の永遠の愛を誓い合ったことに由来する
本日のお誕生日
アインシュタインさん、五木ひろしさん、山口智充さん、ほしのあきさん、黒木華さんなどなど
本日お誕生日の方々、おめでとうございます
㊗️㊗️㊗️㊗️㊗️
1879年、ドイツ南西部のバーデン=ヴュルテンベルク州ウルム市にて生まれた。
父のヘルマンは学生時代、大の数学好きで同分野の探究を続けることを望んでいたが、家庭の経済的事情からそれを断念し、商人となることを決意。
才能は受け継がれたんですね。
アインシュタインは、5歳ごろまであまり言葉を発して他人と会話することがなかった。
しかし、5歳のときに父親からもらった方位磁針が、自然界の仕組みに対する興味をもたらすきっかけとなった。
また、同じ頃、ヴァイオリンを習い始めている。
そしてすぐにモーツァルトの曲が好きになり、ヴァイオリンは生涯の友となった。
幼少のころは、言葉を理解したり話したりするという面では問題がなかったが、言葉を出すのには時間を要した。
一方で数学に関しては傑出した才能を示し、9歳のときにピタゴラスの定理の存在を知り、その定理の美しい証明を寝る間も惜しんで考え、そして自力で定理を証明した。
同じころ、医学生だったマックス・タルメイから天文学の存在を知らされ、同時に物理学に関心を示すようになったという。
1895年、スイスの名門、チューリッヒ連邦工科大学を受験するも総合点が合格基準に足らず失敗。
しかし同校の校長は、アインシュタインの数学と物理の点数が最高ランクだったため、大学入学に必要な中等教育の諸知識を習得することを条件に、翌年度の入学資格を与えた。
ある晴れた日の昼休み、アインシュタインは学校の裏にある丘に寝転んで空を眺めていた。
いつの間にか眠り込んでしまい、不可思議な夢を見た。
それは、自分が光の速さで光を追いかける夢であったという。
彼は目が覚めると、すぐに思考実験を試みた。
これがのちの相対性理論を生み出すきっかけになったといわれている。
1905年、26歳のときに3つの重要な論文を発表する。
この年は「奇跡の年」とも呼ばれ、それに続く数年で、アインシュタインは「光量子仮説」「ブラウン運動の理論」「特殊相対性理論」に関連する五つの重要な論文を立て続けに発表した。
1907年、有名な式E=mc²を発表。
この年には、「箱の中の観測者は、自らにかかる力が慣性力なのか重力なのか区別ができない」という、のちの一般相対論の基礎となるアイディア(等価原理)を考案。
アインシュタインはこれを「生涯最良の名案」と述べた。
1916年、一般相対性理論を発表。この理論には星の重力により光が曲げられるという予言も含まれていた。
1921年度のノーベル物理学賞受賞の知らせを受けている。受賞理由は「光電効果の発見」によるものであった。
当時、アインシュタインが構築した相対性理論について「人類に大きな利益をもたらすような研究と言えるのかと言えば疑問」との声、さらには「ユダヤ的」であるとするフィリップ・レーナルトあるいは、ヨハネス・シュタルクなどノーベル物理学賞受賞者らの批判があった。
ノーベル委員会は、これらの批判を避けるために、光電効果を受賞理由に挙げたと言われている。
相対性理論じゃなかったんですね。
1955年、腹部動脈瘤の肥大の為、入院。
その三日後、死去。
76歳だった。
彼は死の間際にドイツ語で最後の言葉を遺したが、その場にいた看護師がドイツ語を理解できなかったため、彼が最後に何を言っていたのか、その内容については不明だそうです。
最期の言葉が気になりますね。
LIFE誌が1999年に選んだ「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」に選ばれている。
本日が皆様にとって、人生最幸の一日になりますように😍
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