もんちの『今日は人生最幸の日』

もんちです 毎朝、その日の名言と、その日、お誕生日の有名人の紹介 などなど 日々の出来事も書きます 宜しくお願い致します

2月12日 毎日が記念日

おはようございます!

 


笑顔には、人の心を明るく、

柔和で好意的にさせてくれる

偉大な力があります。

 

#ジョセフ・マーフィー

 


2月12日

 


今日は、『ブラジャーの日』

 


1913年、アメリカ人女性がハンカチをリボンで結んだだけという、単純なブラジャーの原型となるものの特許を取得した日

 


本日のお誕生日

 


植村直己さん、岡田奈々さん、三木道三さん、髙木虎之助さん、樋口真一郎さん、榮倉奈々さん、内田莉紗さんなどなど

 


もんち的には、冒険家の植村直己さんのお誕生日

 


本日お誕生日の方々、おめでとうございます

㊗️㊗️㊗️㊗️㊗️

 

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植村直己

 


豊岡市日高町生まれ。

 


少年期より同郷の加藤文太郎に憧れ、学校行事で登った蘇武岳を皮切りに但馬の嶺々への山行を始める。

 


1960年に明治大学農学部農産製造学科に入学、山岳部へ入部してからは登山に没頭。

 


1964年、明治大学卒業後、ヨーロッパアルプスの氷河を見ようと考えたが資金が足りないため、まず生活水準が高いアメリカで資金を貯めてそれからヨーロッパに行こうと考えた。

周囲の反対を押し切って、とび職のアルバイトで貯めた金を元手に横浜港から移民船「あるぜんちな丸」に乗り込み、ロサンゼルスへ向かった。

 


1966年モンブラン、続いて7月25日マッターホルン単独登頂に成功。

10月アフリカ最高峰キリマンジャロの単独登頂に成功。

 


続いて1968年には南米最高峰のアコンカグア単独登頂に成功した。

この後アマゾン川のいかだ下り6000kmの冒険する。

 


日本山岳会が創立65周年事業としてエベレスト登頂隊派遣を決定。

1970年、エベレスト南東稜から登頂に成功する。

 


マッキンリーにも挑戦し単独登頂を成功させ、この時点で世界初の五大陸最高峰登頂者となった。

 


1971年、南極横断距離3000kmを体感するため、同距離となる北海道稚内市から九州鹿児島までの国内縦断を徒歩51日間で実現した。

 


グリーンランド北部でのエスキモーとの共同生活を経たのち、1974年12月から1976年5月まで1年半かけての北極圏12000kmの犬ぞり探検に成功。

 


1978年、ナショナルジオグラフィック協会からも資金提供を受け、犬ぞりを操って人類史上初の北極点単独行に成功、日本人として初めて『ナショナルジオグラフィック』の表紙を飾った。

 


同年にはグリーンランド縦断にも成功し、これらの業績から1979年、イギリス王室ビクトリア・スポーツ・クラブから優れた冒険家に贈られるバラー・イン・スポーツ賞を受賞するなど世界的な名声と評価を獲得した。

 


1980年、エベレストの厳冬期登頂を目指し植村を隊長とする日本隊が編成されるが、登攀隊員の竹中昇が事故死。

悪天候にも見舞われ、登頂を断念した。

 


1984年2月12日、43歳の誕生日に世界初のマッキンリー冬期単独登頂を果たしたが、翌2月13日に行われた交信以降は連絡が取れなくなり、消息不明となった。

 


3日後の2月16日小型飛行機がマッキンリーに行ったところ、植村と思われる人物が手を振っているのが確認されたが、天候も視界も悪かったために見失い、救出できなかった。

 


ただし、最終キャンプとして使っていた雪洞に大量の装備が残されていたことから、誤認である可能性が高いと考えられている。

 


その後明治大学山岳部によって2度の捜索が行われたが、発見されることはなく、植村が登頂の証拠として山頂付近に立てた日の丸の旗竿と、雪洞に残された植村の装備が遺品として発見されるに留まった。

 


やがて生存の確率は0%とされ、捜索は打ち切られた。消息が最後に確認された2月13日が命日となった。

享年43。

 


1984年、国民栄誉賞を受賞。

功績名は「世界五大陸最高峰登頂などの功」との事。

 


そんな若くで亡くなっていたのは知らなかったです。

 


最後まで冒険家だったんですね。

 

 

 

本日が皆様にとって、人生最幸の一日になりますように😍

 


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