明けましておめでとうございます🌅
昔を振り返るのはここでやめにしよう。
大切なのは明日何が起きるかだ。
1月1日
今日は、『元日』
新年の幕開けの日
“年のはじめを祝う”国民の祝日
元旦
「旦」は「日の出・朝」の意味で、1月1日の朝を指す
本日のお誕生日
加藤一二三さん、尾崎紀世彦さん、Mr.マリックさん、沢田亜矢子さん、大友康平さん、役所広司さん、ジミー大西さん、尾田栄一郎さん、庄司智春さん、堂本光一さん、箕輪はるかさん、小林恵美さんなどなど
もんち的には、お前も頑張れよジミー大西さんのお誕生日
本日お誕生日の方々、おめでとうございます
㊗️㊗️㊗️㊗️㊗️
本名は大西 秀明(おおにし ひであき)。
名前の由来は豊臣秀吉から「秀」と元日に産まれたことから明けましておめでとうの「明」を組み合わせたもの。
勉強は苦手だったが、運動神経はよかったらしい。
中学時代は野球部で活躍し、スポーツ推薦で強豪の高校に進学した。
しかし、ベンチが出す数式を用いたサインが覚えられず、試合中にバッターボックスでサイン数式を地面に書いて計算し、監督に怒られたこともあり、試合に出してもらえず、1年夏から引退するまでマネージャーとなった。
高校時代はいじめられっ子で、よくいじめに遭っていた。
いじめっ子に「次に来る快速電車に乗りたいから何とかして停めろ」と脅され、裸で線路に突き落とされたジミーが身を挺して電車を緊急停車させたことがある。
その後ジミーはすぐ駅員に捕まり、学校に連絡されて停学処分を受けた。
この事件のせいで、ジミーの両親は国鉄から請求された賠償金(数百万円)を借金をしてまで支払わなければならない破目になってしまった。
高校卒業後は、就職を希望したが、成績の悪さから就職先が見つからないため、担任教師が吉本興業に雇ってくれるよう頼み込んだ事で、高校在学中からアルバイトとして吉本に入社。
放課後や休日に、なんば花月の裏方(幕引きや進行)を務める。
明石家さんまとはこの頃に出会っている。
高校卒業後に正式に吉本入りし、その後、さんまの勧めによりぼんちおさむに弟子入り。当時の憧れは間寛平だった。
吉本新喜劇などを経て「おおにしこにし」という漫才コンビを結成したが、どうしてもジミーだけが目立ってしまうため長続きしなかった。
「ジミー」という芸名は、さんまがテレビで視た野生のゴリラの名前に因んで名付けたものである。
おさむ門下時代の伸び悩んでいた時代、吉本から半ば見捨てられている存在だったジミーは、運転手にならないかとさんまに誘われ、以降さんまが自身の付き人として面倒を見るようになる。
人から決まった言葉を振られた後に返すタイプのギャグが有名。
「ジミーちゃんやってる?」と振られたあとの「やってる、やってるぅ」や、「ジミーがんばれよ」と振られたあとの「お前もがんばれよ!」、股間を触られたときに発する「ふるさとー」または「エクスタシー」など。
これらのギャグが評判となり、天然ボケ芸人として全国的に人気を博した。
異常に嗅覚が鋭く、番組の企画の「たくさん並べられたスリッパの中から女子アナの履いたスリッパを当てる」というゲームで警察犬と対決し、見事勝利した。
1996年、尊敬する上岡龍太郎に、自身の絵画を褒められたことなどから画家として生きていく事を決意し、芸能活動を引退、画家に転向する。
岡本太郎から「君は画家になりなさい」と手紙をもらったことも、引退を決意した要因の一つである。
画家に転身後も吉本興業に籍を残しており、 2008年の27時間テレビ内の「クイズ!ヘキサゴンII」に、さんまファミリーとして出演。
さんまのフリに対する的確な持ちギャグを見せつけ、また中村玉緒・浅田美代子と共にヘキサゴンファミリーのおバカキャラ達を圧倒するボケを披露した。
2016年以降はタレント活動に再び軸足を置いている。
絵画については「今は描きたくない」との事。
皆んなから愛されキャラで、天然で人柄の良さが滲み出てますよね。
これからのバラエティでの活躍を期待してます。
本日が皆様にとって、人生最幸の一日になりますように😍
今年も良い一年になりますように。
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